私にとって音楽って?自分の気持ちを分析してみた

私の考え

以前、そもそも音楽とは?というテーマで記事を書きました。

では、自分自身にとって音楽って何だろう・・?

子どもの頃からピアノを習い、今、小さな教室ですが教えています。

そんな私が、今回は、自分と音楽との関係について、気持ちを掘り起こしてまとめてみたいと思います。

関連記事そもそも音楽とは、というテーマの記事はこちらです。

私にとっての音楽って?~音楽歴を振り返る

まずは、これまでの音楽とのかかわりを振り返ります。

初めにお断りしておきますが、私は音大は出ていません。

小学校時代

私は、4歳からピアノを習い始めたと親から聞いています。近所のピアノ教室です。

きっかけはというと・・

実は、伯母が音大のピアノ科の教授で、自宅でもピアノを指導していました。

祖父母も同居していたそこへ遊びに行くと、「上手でしょ~」など言いながら、ピアノをジャンジャン鳴らしていたそう(もちろんレッスン用とは別の楽器)。

そんな様子を見て、習わせてみようかと思った、とのことです。

先生は何人か変わりましたが、高校3年の大学受験間際まで習っていました。

わりと進み方が早く、小学校の2年生?に学校の行事で合唱の伴奏をしました。

そんなこともあって、小学校時代は「ピアノを弾ける子」とちょっとした有名人でした。

あくまでも「小学校時代」。

中学に入ると自分程度弾ける子は何人もいて、井の中の蛙だったことに気が付きます。

中学校時代

中学に入ると、部活で吹奏楽に出会います。

これが、も~楽しくて楽しくて!

日曜日も、夏休みも、部活部活でしたが、ちっとも嫌ではなかったです。

コンクールでは地区大会銀賞止まりで、それほど上手ではなかったですが。

楽器はホルン。難しい楽器です。

今はもうすっかり吹き方を忘れてしまいましたね。

高校時代

高校でも吹奏楽を続けたくて、当時全国大会常連校だった有名校へ入学しました。

実際、全国大会での演奏経験もあります。

でも、2年生の末で退部。先輩後輩などの人間関係に疲れてしまった、というのが理由です。

吹奏楽が嫌になったわけではありません。

なので、しばらくの間「演奏できない」という、何とも言えない喪失感を味わいました‥。

部活にのめり込んだ中高時代ですが、上にも書いたとおり、ピアノは高3まで続けました。

社会人以降

社会人になり、ピアノを再開します。また、教室へ通うようになります。

「仕事だけは嫌だな、何かやりたい」と考え、「やるならピアノ」と思ったんですね。

これまで全く弾いたことのなかったポピュラー曲をやったり、ほとんどしてこなかったソルフェージュを学んだり。

発表会へも毎回参加して、緊張しながら演奏し。大人の生徒だけのグループレッスンに参加し。

楽しかったですね。

その後、ちょっとあこがれを持っていたジャズ専門の教室へも通いましたが、妊娠を機に休止し、そのままになっています。

ざっと、こんな感じです。

先にも書きましたが、音大は出ていません。

とにかく好きでやってきた、という感じ。

いわゆる「趣味ピアノ」というやつでしょうか。

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私は音楽が好きなのか?音楽の何が好き?

世の中には「音楽が嫌い」という人もいます。

じゃあ、自分はどうなのか・・

好きか嫌いかと問われれば、「好き」と答えるでしょう。これだけ続けてきているんだし。

「楽しかった!!」とはっきりと言えますし。

でも、音楽の「何が」好きなのか?楽しかったのか?

ちょっと、自分の心を掘り下げて考えてみました。

聴くより演奏することが好き・・?

私は普段、音楽をほとんど聴きません。

今流行りの曲は興味がありませんし、かといって、これまでかかわってきたクラシック曲を聴くのかというと、そうでもありません。

ピアノ曲を聴くとすれば、「〇〇ってどんな曲だろう。ピアニストたちはどんな風に演奏しているんだろう」ということが多いです。

勉強のために聴く、という感じでしょうか。

「聴きたい」とあまり思わないんです。なぜなのか、自分でもよくわかりません。

ある人に「聴きたいより弾きたい、なんだね」と言われましたが、そういうことなんでしょうか・・?

弾きたいと思える(弾ける)曲を探すために聴く、という感じになりがちです。

純粋に音楽そのものを楽しむ、という感じではないようです。

特にピアノ曲だと、聴いていても、「うっ、ここ難しそう」とか「これはどうやって弾いてるんだ?」とか。

弾くつもりがなくても「弾く」という視点になっている気がします。

そういう意味では、ピアノ以外の楽器やオーケストラの演奏、ピアノならクラシック以外のジャンルなら、純粋な気持ちで聴けるかもしれません。

実際、聴く場合はそういうものを好んで聴いているように思います。

クラシック音楽が好き

これは、はっきりそう言えます。

ポピュラー曲が嫌いなわけではないです。ジャズなんかにはあこがれを持っていますし。

これは、自分の音楽歴と深く関係があると思います。

一般的にピアノのレッスンは、クラシックの曲ばかりを学びます。

それに、クラシック音楽が比較的多く流れている家庭環境だったと思いますし。

クラシック曲の中でも、ロマン派以降、特に近・現代に分類される時代の曲が好みです。

これは、吹奏楽の影響が大きいと思っています。

吹奏楽コンクールでは、現代の作曲家による吹奏楽のために作られた曲が課題曲になります。

自由曲でも、比較的その時代の曲が多く演奏されていたように思います。

R.コルサコフ、レスピーギ、プロコフィエフ・・・

こんな作曲家を知ったのは、吹奏楽においてです。

J-POPといわれる音楽を全く聴いてこなかったわけではありませんが、最後に自分の中に残るのはクラシック音楽かな。

これは、育った環境によるものが大きいと思います。

身近にあるものには親しみを感じるようになる、というのは道理のようなので。

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私の音楽の原点はピアノじゃない!?

いろいろと音楽についての自分の気持ちを考えていくと、私は、本当はひとりでピアノを弾くよりも合奏がしたいのかもしれない、と思えてきます。

音楽で心揺さぶられた経験。それは、まさしく吹奏楽においてです。

何がいいのか・・

様々な楽器による様々な音色が幾層にも重なり合って、雄大で壮大な音世界が広がる。

このことに、とても気持ちの高ぶりを覚えるように感じます。

わずか5年の部活動の中で、何度となく感じた音楽による感動体験。

これが、今の私のピアノ演奏を支えている、とも思っています。

ずっとずっと習ってきたピアノの中で、こんな心揺さぶられるような感動をしたことがあっただろうか・・?

正直言ってあまり実感がないです・・

私にとってピアノのレッスンは何だったのか・・

子ども時代だけでも10数年レッスンに通ってきているのに、深く印象にあるのは吹奏楽での経験って・・!

私、ピアノのレッスンで何やってきたんだろう・・って思ってしまいます。

思うに、ピアノを弾く技術だけを学んできたということかも。

ふり返ってみても、続けてきたのは単に「弾けた」から、のような気がします。

与えられた曲を忠実に、先生に言われたとおりにこなす。

そして、だんだん難しい曲を弾けるようになる。

「できなかったことができた」

そうしたことが喜びになっていたのかな、と。

でもそれは、音楽を自分の手で演奏することの喜びとは違う、ような・・。

実際、自分の感情を曲に込めていくような演奏をするようになった、それができるようになったと感じたのは大人になってからです。

ある時、フッと、「こう弾けばいいんだよ!音楽ってこう演奏するんだよ!」と霧が晴れたような気持ちになったのを覚えています。

こうなったことの背景にあるのは、吹奏楽をしていた時に感じた気持ちの揺さぶりのように思います。

吹奏楽をやっていなければ、自分のピアノはどうなっていただろう・・。

未だに「楽譜を再現してみました」的な演奏に終始していたかもしれません。

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今の私の「音楽って?」~音楽の演奏は心の表現

明確には言葉にできないけれど、フッと心に触るような、そんな音を出したい。

今ピアノを弾くとき、そんなことを考えます。

自分の演奏がどこまで”表現”できているのかはわかりません。

自己満足で終わっているかもしれません。

でも、そうだとしても、音楽を自分で演奏するということはそういうことだと思います。

「弾けなかったところが弾ける」ではなく、「表現したかったように弾ける」。

音楽を演奏する喜びは、ここにあるはずです。

今レッスンに来ている方たちにもそのことを伝えたい、と強く思っています。

(公開日:2016年12月21日 最終更新日:2024年2月1日)

コメント

  1. 音楽を自分で演奏する、ということは、「表現したかったように弾ける」、ということ、とのことですが、自分の場合、音楽を自分で演奏する、と言うことは、絵、のように、形、としては残らないですが、一時の、音楽を作る、ということ、だと思っています。形はないけれど、時の流れにのって、音楽を作っている、音楽という芸術作品を作っていること、だと思っています。「表現したかったように弾ける」ということも、よい芸術作品をつくっている、ということだと思います。

    • pumila pumila より:

      白須様
      コメントありがとうございます。
      音楽を自分で演奏するということは「音楽という芸術作品を作っていること」とのこと、なるほど、そうだよね、と思いました。
      自ら演奏をすることは、そこに演奏者の心が込められる。
      それが、楽譜を再現しただけではない、一つの「芸術作品」となる、ということですね。
      深い捉え方を教えていただきました!

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