音楽は、演奏する人によって聴こえ方が違ったりします。
この曲はこの人が弾いたものがいい!ということありますよね。
これって、言わば「音楽には明確な正解がない」ということ。
このあいまいさは、音楽の良さだと思います。
音楽する人によって変わる演奏
音楽は、演奏者によって雰囲気が変わる。
それは、曲の解釈が変わってくるからですよね。
おんなじ楽譜でも、この曲をどう感じ、どう表現しようか、という部分はその人に任されます。
同じフォルテでも、重~い感じにするのか、軽やかな感じにするのか・・。
同じクレッシェンドでも、どの程度大きな音にするのか・・。
こうしたことは、「音楽する人」つまり演奏者が決めること。演奏者の感性で大きく違ってきます。
なので、同じ曲なのに違ったイメージになったりする。
同じ曲は誰が演奏しても同じ、ということにはならない。
これは、音楽に限ったことではないですね。
例えば「絵画」も、同じものを描いているのに描く人によってぜんぜん違う、ということは大いに起こります。
芸術全般であることですよね。
そしてどれも「ステキ」だったりする。
聴く人、見る人の感性で善し悪しが決まり、明確に「間違ってる!」「おかしい!」ということになりにくい。
ひとつの基準によって勝ち負けがはっきりしたり、1番2番が決まったり、ということがしにくい、あいまいな感じ。
これが、音楽(芸術)のいいところ、大事にしたいところだと思います。
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音楽の持つあいまいさが心を柔らかくする
小学生くらいの子どもたちは、できる、できないという基準で自分を評価しがちです。
あの子と比べてこれができない、この子よりはできる、とか考えがち。
これは、自分を客観視できるようになってきた証拠で、決して悪いことではないです。
でも、なにかと分かりやすい基準にはめ込みやすいんですよね。
そして、〇秒で走れないから自分はダメだ、とか、自分を否定する考えにもつながりやすい。
逆に、自分は〇秒で走れるからすごいんだ!と、天狗にもなりやすい。
そんなことで、人間の価値が決まるわけではないんだけどね。
音楽することで気づく人の多面性
人間は、ひとりの中にいろんな面を持っています。
こんなダメなところもあるけれど、こんないいところもある。
これは得意だけどあれは苦手。
一面的なとらえ方ではなくて、大きく総合的に見る。
人を見る時も、世の中を見る時も、そういう見方をすることが大事なのではないか、と思います。
そんな見方ができるようになるための助けになるのが、実は音楽ではないかと思っています。
芸術というものすべてが、そうだろうと考えています。
音楽から自分は何を感じるか。
それは、必ずしも人と同じではないし、同じでなくていい、ということ。
自分はどんな風に表現したいと思うか。それは、自分にしかできないこと。
こんな感じ方はいいけど、あんな感じ方はダメ。
こんな表現はいいけど、あんな表現はおかしい。
こんなことはありえないことのはず。
音楽を通じてこうした経験を積み重ねていくことが、子どもたちの心を柔らかくし、柔軟なものの見方、捉え方ができるようになっていくのではないかと。
そんな風に思っています。
ピアノのレッスンで大事にしたいこと「何を感じる?」「どう弾きたい?」
自分の教室の日々のレッスンの中で、子どもたちに「この曲から何を感じる?」「この曲をどんなふうに弾きたい?」としつこく聞いているつもりです。
話してくれたことを決して否定せず、「私はね・・」と続けます。
私はこんなところが好きで、こんなイメージを持ってるんだよ
と、私の感じ方も伝えるようにしています。
話を聞くと、へぇ~なるほどねぇ~、と思うことも多いです。
そういう見方もあるかぁ、教えられたなー、と思うことが。
子どもたちには、曲についていっぱいいっぱい語ってもらいたい。語ることは、意識することにつながるので。
「心を柔らかくする」なんて、音楽をやったからといって、すぐに何か変化のあらわれるものではありません。
音楽を通じていろんな感情を体験して、それを何年もかけて積み重ねていくことで、心の持ちようの何かが変わる。
そんなことだと思います。
すぐには変化が表れない。そんな分かりにくさも音楽の良さではないかな、と思います。
奥ゆかしいものなんです。
(公開日:2016年9月24日 最終更新日:2024年8月23日)
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