「ピアノに向いているのかな、それとも向いていないのかな?」
ピアノを習っているお子さんの様子を見て、あるいは、ピアノを弾くご自身を顧みて、こんなことを考えたこと、一度はあるのではないでしょうか。
そもそも、「ピアノに向いている、向いていない」ってどういうことでしょう?
どういう状態なら「向いている」と言えるのか
「向いているのか、向いていないのか」を考える時って、どんな時でしょう。
レッスンに行くのが嫌な時?
練習したくないと思う時?
思うように弾けなくてイライラした時?
おそらく、3番目が一番多いのではないでしょうか。
どうもうまく弾けない。なかなか上達しない。
こんなことを感じたとき、「ピアノ、向いていないのかも」と思うかもしれません。
逆に、「向いている」と感じるときは、どんな時でしょう。
こちらはもっと単純で、
ピアノって楽しい!
と感じられるときではないでしょうか。
それは、うまく弾けた!と思えたときや、上達を実感できたようなときに感じるかもしれません。
でも、それだけではないように思います。
うまく弾けなくても、上達してないなぁと感じても、それでも「ピアノ好き!楽しい!!」と感じる場合は多いのではないでしょうか。
うまく弾けなくてイライラする。全然上手にならない。
でも、弾けるようになりたい。がんばって練習する。
練習は好きじゃない。つい、さぼっちゃう。
でも、
ピアノのない生活は嫌だ!
と思う。
こういう状態なら、それは「向いている」と言えるのではないかな。
たとえ、なかなか上手にならなくても。
「向き不向き」って結局はピアノが好きかどうか
好きなことは上達しやすいですよね。「好きこそものの上手なれ」と言いますし。
なので、
「ピアノが好き=上達する=ピアノに向いている」
という構図は成り立つでしょう。
でも、なかなか上達しないけれどピアノが好き、ということも大いにあり得ます。
「下手の横好き」なんていう言葉もありますし。
って、失礼な言い方かもしれませんが・・
ピアノは好きだけど、上達しないからやめる。
実際こういうことはありますが、それは、ピアノを教えている身としては悲しいなと思います。
また、「上達する=ピアノが好き」とも限りませんよね。
あまりにも厳しいレッスンで、ピアノを弾くのが苦しい。でも、上手くはなる。とか。
でもこれは、厳しいレッスンが苦しいのであって、ピアノが嫌いということではないのでは、と思いますが。
こう色々考えていると、だんだん訳が分からなくなってきます。
結局は、
ピアノが好きかどうか
このことひとつではないでしょうか。
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「向いてる?」「向いてない?」迷った時には「好き」かどうかを考えて
向いていないことをいつまでも続けるのは、時間の無駄だしお金の無駄。
それはその通りだと思います。
でも、本当に辞めてしまってもいいのか?ピアノのない生活でいいのか?
「ピアノを好きなのかどうか」
迷った時には、そのことをじっくり考えてみるといいのではないかと思います。
物事に迷っているときは、いろいろな考えが頭をもたげてきます。
人の目やしがらみや、現実的な損得や・・
そうなったときには、シンプルに考える。
一番大事なことは何か、を思い出す。
この場合、
「ピアノ好き?」
ということではないでしょうか。
そして、「ピアノ、やっぱり好きだな」と思うのなら、続けましょう!
そう思えるということは、「向いている」ということです。
逆に、
「ピアノ、もういいや」
と思うのなら、すっぱりやめた方がいいですよね。
ピアノを弾くのは上手になるだけが目的ではない
上手に弾けるようになりたいから、ピアノを学ぶ、練習する。
確かにそうです。
でも、それだけが目的ではないですよね。
音楽を聴く、ではなく、自ら演奏するというかかわり方は、音楽の奥深さを身を持って体験することにつながります。
たとえよく知っている曲であっても、弾いてみることで違ったものが見えてきたり感じられたり。
心に響いたメロディーを、心を込めて演奏することは、それだけでさらなる感動を覚えることでもあります。
そうした体験そのものが、ピアノを弾く価値であると考えています。
指がよく動くようになった、難しい曲を弾けるようになった、
それも、ピアノを弾く楽しみの一つではあるかもしれませんが、それだけでは決してありません。
指がうまく動かなくても、すご~く簡単な曲に終始していても、弾く、音楽を自ら演奏する、という行為そのものがとても楽しいことなんです。
弾きたいと思うかどうか、結局はそこなんだと思います。
弾きたい、と感じられないのなら、そこで初めて「向いていない」ということになるのではないでしょうか。
(公開日:2016年10月1日 最終更新日:2024年8月20日)
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