楽譜の記号は絶対に守らないといけないの?楽譜の記号は何のため?

私の考え

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楽譜に書かれているのは音符だけではありません。スラーやスタッカートや、強弱記号や速度用語や・・様々な記号が書かれています。

それをもとにして、表情豊かに、聴く人の心に響くような演奏をしていくことになります。

ただ「音をなぞりましたぁ~」ではなく。

でも時々、書かれている記号の通りに弾くのはどうもしっくり行かないなぁ・・と思うことがあります。

そういうこと、ないですか?

そんな時、私は書かれている記号を守らないことがあります。

でも、そう決断する前にいろいろなことを考えます。

楽譜に書かれている様々な記号は、絶対に守らなければいけないのでしょうか?

私の考えをまとめてみます。

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記号を守らないってどういうこと?

「楽譜にある記号を守らないことがある」と書きましたが、それは、例えばこういうこと⇩です。

ある日のレッスンでの出来事。

その子は、2小節にわたるスラーを途中で切って弾いていました。同じメロディーで同じようにスラーがかかっている他の部分も、同じところで切っています。

私「この部分、途中で切って弾いてるけど、どこで切ってるかわかる?」

生徒「う~ん・・・ここかな」(正解)

私「それは、スラーがかかっているけどあえて切ってる、っていうこと?それとも・・」

弾いている本人は、自分がどこで切っているのかはわかっています。ちゃんと楽譜を見て答えることはできました。

でも、「スラーがかかっている」ということは分かっていなかったよう。なんとなく、メロディーから受ける印象で切っていたようです。

実は、例に挙げたその曲、自分で弾いてみても、「ここをスラーでつなげちゃう?」と、なんだか違和感を持っていました。

この子と同じところで、自分も切りたくなってしまうんですね。

それで私はどうしたのかというと・・・切って弾きました。

「ここまででひとまとまりだよ。それを感じて弾いてね。」という意味でのスラーなのだと解釈したわけです。

なので、途中で切ってしまっても、ブチ切れではなく先に続いていく雰囲気を保っていくのならそれでいいのではないかと。

関連記事スラーについてこちらの記事で詳しく解説しています。

記号に疑問を持つのは表現の第一歩かも でもね・・

例に挙げたのはスラーでしたが、他の記号でもありますね。

例えば強弱記号。

フォルテが書かれているのはこの場所だけど、自分はもう少し後のこの音を頂点に考えてここをフォルテにしたい、とか。

クレッシャンドが書かれているけど、むしろ自分はデクレッシェンドしたい!なんてこともあります。

曲を表現しようと思ったら、そういうことはあることなのではないかな、と思います。

例に挙げたレッスンでの子、表現について深く考えていたわけではないですが、それでも同じメロディーは同じところで切ってしまう。

それは、この音の動きから何かを感じているからですよね。

この「感じる」というのは、表現の第一歩でもあります。

大事にしたいところです。

でも、じゃあ、記号のことは考えなくていいのか?好きに弾けばいいのか?

違いますよね。

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楽譜の記号は作曲者の意図

音楽、特にクラシック音楽は、作曲者の生み出した芸術作品として、とても大切かつ慎重に演奏されるものです。

その場に、そのものとしてとどめておくことのできない音楽という芸術作品は、楽譜に書き表すことで見ることができ、また、その場にとどめておくことができています。

なので、楽譜には、書かれた音一つ一つはもちろん、様々な記号も含めて、どのように演奏するか、つまりどのように表現するかを表す作曲者の意図が込められているんですよね。

それを、演奏者が勝手に手を加えて変えてしまうことはご法度です!特に音に関しては!

でも、アーティキュレーション、つまり、スラーやスタッカート、アクセント、テヌートなどの記号や強弱記号に関しては、「解釈」で変わります。

人それぞれの「感じ方」の部分が大きいからですね。

なので、演奏者がどう解釈しどう表現するかで、同じ曲でも聴いた印象が変わります。

記号は、後世の人によって、書き加えられたり、変えられたりしているものもあります。

なぜこの記号なのかをしっかり考えた上で

だからといって「私はこう解釈しました!」と、なんでもありのような演奏をしていいわけではありませんよね。

楽譜には、作曲者の意図が書かれているんです。

ここにこの記号は・・

と思っても、作曲者は必要だと考えたから記号を入れているんです。

私はこう弾きたいからこうしよう、と決める前に、なぜ・・としっかり考えることが必要です。

書かれている通りではしっくりいかなくても、何度もその通りに弾いてみる。

この部分だけではなく、前後の音の流れや他のメロディーとの関係など、広い視野で見ることも必要になるかもしれません。

いろいろと検討した結果、やはり自分流にしたい、その方がこの曲の魅力が伝わる。

そう思った時、初めて変えることができる。

そういうものだと思います。

上に挙げた子のレッスンでは、

「ここは切りたいな、っていう感じだったから切って弾いてたんだね。それならそれでいいよ。

でも、『スラーがかかってるけど私はここで切りたいの!』という気持ちで切ってほしかったな」

と話しました。

スラーがかかっているということをちゃんと分かった上で、自分の表現へのこだわりから切る、ということをしてほしかったな、ということです。

私自身が、「ここクレッシェンドになってるけどむしろデクレッシェンドしたい。」と思ってしまう曲についても、

なぜここはクレッシェンドになっているんだろう・・次に来るこの部分を強調したいってことか?

など、色々と考えました。

その結果、このクレッシェンドは他の部分との対比を強調したいということだな、という考えに至り、そのままクレッシェンドすることにしました。

でも、音の大きさの幅は少な目かな。

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何も考えない「記号通り」が一番ダメ!

「ここはぐ~ンとクレッシェンドして行ってジャ~ンとこの音へつなげる。うんうんそうだよね。」

「この長~いスラーはす~~っと流れるように弾いていきたいよね。そうそう。」

楽譜に書かれている通りの記号でしっくりくるのなら、それでいいでしょう。

でも、たまに「ン?なんで??」と思うことがありますね。

なぜこうなっているのかをいろいろと考えて、どうしても納得いかない時は、自分の感性で弾いてしまっていいのではないかと思います。

それが、曲を自分のものとして表現するということではないかと。

一番マズイのは、何にも考えずに「楽譜に書いてあるからその記号の通りに弾きました」という演奏ではないかと。

レッスンに来ている子どもたちは、そもそも楽譜に書かれている記号に目が行っていないという子も多いんですが・・・

子どもたちの感性に訴えかける問いかけをいっぱいしながら、一緒に悩んで考えて、曲を弾いていけるようにしたいと思っています。

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