小学校、中学校の義務教育では、音楽の授業が必ずありますね。
歌をうたったり、リコーダーなど楽器の演奏をしたり。
人前でのテストもありましたよね。
音楽の授業はなぜあるのか。その必要性について考えたことはありますか?
将来何の役に立つんだろう・・・
こんなことやる必要あるんだろうか・・
そんな風に考える人は多いかもしれません。
かく言う私だって・・
そんな、音楽の授業の必要性について色々調べ、考えてみました。
その結果・・・・やっぱり、あった方が良いのでは、と思いました。
学習指導要領を読んでみる
学校の音楽の授業が好きだったという人はどのくらいいるでしょう?
私は好きでした。
早くからピアノをやっていたのですでに分かっているということも多く、余裕があって楽しめたのかもしれません。
一方で、現在音楽家という人の中にも、音楽の授業が嫌いだったという人はいますね。
音楽を生業にするくらいなので、比較的早くから音楽に触れていたと思いますが。
結局は、授業のやり方次第なのかも・・と思ったりして・・音楽の先生ゴメンナサイ
学習指導要領に書かれていること
学校の授業の内容については、文部科学省の定める「学習指導要領」というものがありますね。
各学年各教科の指導目標が書かれたもので、学校の先生たちはこれに沿って日々授業を行っています。
当然「音楽」についても定められています。まずはこれを読んでみました。
音楽科の「目標」として、次のように書かれています。
なお、学習指導要領は平成30年(2018年)に改定がされていて、以下は、それに向けて書かれた前年(2017年)に出された文書(小学校版)です。
表現及び鑑賞の活動を通して、音楽的な見方・考え方を働かせ、生活や社会の中の音や音楽と豊かに関わる資質・能力を次の通り育成することを目指す。
(1)曲想と音楽の構造などとの関わりについて理解するとともに、表したい音楽表現をするために必要な技能を身に付けるようにする。
(2)音楽表現を工夫することや、音楽を味わって聴くことができるようにする。
(3)音楽活動の楽しさを体験することを通して、音楽を愛好する心情と音楽に対する感性を育むとともに、音楽に親しむ態度を養い、豊かな情操を培う。
小学校学習指導要領解説 音楽編 P.9「第2章 音楽科の目標及び内容 第1節 音楽科の目標 1 教科の目標」より
これだけでは、正直ピンときませんよね。
こちらは「解説書」なので、さらに詳しいことが書かれています。
上にあげた「目標」の文言一つ一つについて解説されていて、膨大な量になるためここには記しません。
興味のある方は、実際に読んでみていただければと思います。
私なりに考えたこと
私が「解説」部分を読んでみて考えたのは、以下のようなことです。
「解説」部分の量から見るとかなりコンパクトですが、こんなところかな・・と思いました。
こうしたことが、日々生きていく上での糧になる、ということでしょうか。
少なくとも、音符を読めるように、楽器や歌を上手にできるようにすることが目的ではない。
これは確かかな、と思います。これらはあくまでも手段。
実際に自分の体や頭を使ってやってみることで、より深く知る、ということですね。
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「音楽」は柔らかい心を育む~私の考え
私は以前から、音楽をすることによって得られるものとして、「心を柔らかくする」ことだと考えてきました。
音楽には、いい意味で「正解がない」からです。
感じ方によって変わる
音楽を聴くと、様々な感情が沸き上がりますよね。それは、言葉にはできないような複雑な、微妙な、不思議なものだったりします。
そしてまた、強く心動かされる部分は人によって違う、ということもあります。
同じ曲を聴いても、私は断然曲の最初のところが好き!とか、私は何度も出てくるこのメロディーがいい!とか。
感じ方も人それぞれ。
自分の教室でのレッスンで、実際に弾いている生徒はこの曲を「楽しい曲」と感じていたようですが、私は「穏やかな曲」と思っていた、ということがありました。
面白いな、と思いましたし、こういうこともあるよな、とも思いました。
”表現”もそれぞれ
音楽を聴いたときの感じ方も様々ですが、実際に演奏するときの表現もまた、それぞれですよね。
同じ曲でも演奏者によってずいぶん雰囲気が変わります。
私は○○さんの演奏が好き、私は××さんがいい、ということはよくあります。
自分で演奏するときも、最終的にどのように表現するのかは本人に任されています。
楽譜には様々な記号が書かれていて、基本的にはそれに沿って音を大きくしたり、小さくしたり、速さを変えたりして”表現”します。
でも、どのくらいの大きさにするか、どの程度速さを変えるのか、などなど・・に厳密な決まりがあるわけではありません。
自分はこの曲から何を感じ、どう表現したいのか。これによって決まってくるもの。
人それぞれなんです。
「正解がない」からこそ
上に書いたような感じで、音楽には「絶対にこうでなければいけない」というものはありません。
基本的なルールにはのっとっていきますが、最終的にどう感じるか、どう表現するかはその人その人によって違ってくるし、そのどれもが共感できる人もいればできない人もいる。
こんなあいまいさを持っているのが音楽であり、それが良さだと私は思っています。
世の中には、いろんな考え方をもっていろんな生き方をしている人がいる。
白黒はっきりつけられるものばかりじゃない。
立場が変われば善悪の考え方も変わる。
世の中そう単純なものではない。
それでもみんな懸命に生きている。
子どものころに音楽に触れ、いろいろな感情を経験したり他の子の感じ方を知ったりすることは、様々なものの見方考え方を、柔軟にとらえることにつながっていくのではないかと思います。
それは、複雑な世の中を生きていくのに必要な力ではないかな、と思います。
もちろん、音楽の授業だけで培われるものではありません。そんな単純なものではないことも事実。
でも、音楽は、一つの大きな力になると思います。
関連記事→こちらの記事にも、音楽にかかわることで得られるものについて書いています。
脳科学の分野でいわれていること
最後に脳トレ的な部分からも一つ。
私が、このブログの記事の中でよく紹介している書籍『ピアニストの脳を科学する~超絶技巧のメカニズム~』にも、音楽の授業の必要性について書かれています。
音楽家の脳を調べる研究結果から、そう導かれています。
音楽家は言語の理解能力が高い
音楽と言葉はよく似ています。
メロディーのまとまり一つ一つは単語のようにとらえられますし、曲は一つの文章(物語)と考えることができます。
音楽を表情豊かに演奏することは、言葉を話したり朗読をしたりすることにとても近いと感じます。
実は、ノースウェスタン大学のクラウス教授の研究で「音楽家は言葉を聴きとる能力が高い」という実験結果が出されているとのことです。
クラウス教授らは、言葉を聴いているときの「脳幹」という脳部位の活動を調べました。
『ピアニストの脳を科学する~超絶技巧のメカニズム~』より「第3章 音楽家の耳」P.79~81 太字は原文のまま
(中略)
脳幹というのは、耳から入った音の信号を最初に処理する脳の部分で、聴いた音の波によく似た形の電気活動を示すことが知られています。
(中略)
聞こえてくる音の波形と、脳幹の電気活動の波形を比べてみると、音楽家のほうがより似た形をしていたのです。これはつまり、音楽家の脳幹は、相手の話す言葉のニュアンスの変化を正確に捉えることができる、ということです。
(中略)
アメリカ人の音楽家に、中国語(マンダリン)の言葉を聞かせる実験を行い、「中国語の勉強をしたことがないのに、中国語の音のピッチを聴きとる能力が、音楽家のほうが高い」という結果が得られました。音楽訓練の効果が言葉を処理する能力に転移し、訓練していない言語を聴きとる能力までもが向上する。まさに「音楽は世界をつなぐ」とも言えるかもしれません。
これを読んで、へ~と思いました。
私、英語は苦手ですが、本気で勉強すれば案外早く習得できるのかも‥なんて。
私程度の音楽習得レベルではダメかな~。
音楽家は感情の変化を感じる力が高い
クラウス教授はこんな実験もしているそうです。
クラウス教授は、音楽家とそうでない人に、2種類の赤ちゃんの泣き声を聞かせ、その時の脳幹の活動を調べました。1つは普通の声で、もう1つは、赤ちゃんが何かを表現しようとしているときの声です。
『ピアニストの脳を科学する~超絶技巧のメカニズム~』より「第3章 音楽家の耳」P.82 太字は原文のまま
(中略)
この2種類の声を聞かせた結果、赤ちゃんが何かを表現している声のときのみ、音楽家の脳幹は(音楽家でない人に比べて)より強く活動することがわかりました。つまり、感情を伝達しようという声に対しては、音楽家の脳は敏感に反応するということです。実際、音楽家は、他人の話し声に表れる感情の変化に気づくのが得意であるという研究結果もあります。
これは私、思い当たります。
相手のほんとにちょっとした話し方の違いで、「今の私の話面白くなかったかな‥」「いやな思いさせちゃったかな・・」とか、すぐ思います。
で、落ち込んだりする・・・
それに、同じ人の話を聞いていて、私はその人の感情の変化に気づいても他の人は気づかない、という経験を何度かしています。
それで得したと思ったことはほとんど(イヤ、全く)なく、落ち込んじゃうことのほうが多い。
あまりに敏感に感じすぎちゃうのもどうかと思う・・
ま、音楽をやってきたことだけが原因ではないと思いますが。
音楽家は騒音に強い
もう一つ、音楽家は、いろいろな音が混じったざわざわとした環境の中でも、必要な音を正確に聴きとる力が高い、ということも分かっているそうです。
雑音の多い中で会話を聴きとる際の、脳幹の働きを調べた結果だということです。
音楽というのは基本的に、複数の旋律を複雑に織り交ぜて作られています。音楽家は、同時に鳴り響く複数の旋律を聴き分けたり、オーケストラの中で自分の演奏する音をしっかり聴きとることを普段から求められているのです。注意を向けた音だけをよく聴きとることができるので、騒音の中でも会話を聴きとることができるのかもしれません。
『ピアニストの脳を科学する~超絶技巧のメカニズム~』より「第3章 音楽家の耳」P.83
ピアノの演奏でも、たくさんの音を同時に弾くことになります。
その際、しっかりと聴かせたい音とそれ以外の音を弾き分けるために、自分の弾いている音をよ~く聴くことが求められます。
これもきっと同じことですね。
脳科学者は音楽の授業の必要性を感じている
上にあげた一連の研究を行ったクラウス教授は、アメリカでの学校教育において音楽の授業が減らされる動きに対して「反対」を表明しているそうです。
そして、著者の古屋晋一さんも以下のように述べています。
学校教育の中で音楽の時間が減らされてしまうと、これまで当然とされてきた子供の認知機能や感覚機能などの発達に、思いがけない悪影響が出てくる恐れがあります。私も、クラウス教授の主張に大いに共感しています。
『ピアニストの脳を科学する~超絶技巧のメカニズム~』より「第3章 音楽家の耳」P.83~84
音楽は想像以上に人間の脳に影響を与えているようです。
子どもたちの音楽との関わりを部活や習い事などの課外活動だけに任せるのは、少々”危険”なことなのかもしれません。
関連記事→引用文献『ピアニストの脳を科学する』をこちらの記事で紹介しています。
音楽の授業はやっぱり必要
音楽の授業というと、歌を歌ったり、リコーダーや鍵盤ハーモニカ(私の時代はハーモニカでした)を演奏したり、音楽鑑賞をして感想文を書いたり・・
そんな”やったこと”ばかりが思い出されます。
そして、歌や楽器のテストがあった。みんなの前で一人ずつやりましたよね。
これが結構恥ずかしかった。これが嫌だった!という人、多いのではないでしょうか。
こういうことから「何の役に立つんだか‥」という思いが芽生えるのかな、と思います。
でも上に書いたように、知識をつけることや楽器の習得が音楽の授業の目的ではありません。
一言で言ってしまえば、やっぱり「情操教育」なんですね。
人間の心、というはっきりとは目に見えないものに大きな影響を与えることになる音楽。
ここを怠って大人になってしまうことの危険性は、やっぱりあるのではないかと思います。
そして、脳科学の分野から見えてきた子どもの認知機能などへの影響。
科学的な視点も加わってくると、より重要性が増すように思いますね。
少なくとも義務教育である小中学校の間は、音楽の授業は必要。
私の中の結論はこうなりました。
(公開日:2017年8月21日 最終更新日:2024年1月30日)
コメント
音楽もそうですが、センスが問われる度合いが高い科目は選択にすべきと思います。
大して利用もしないこの音楽の成績さえなければもっと高いレベルの高校へも進学できただろうし、センスが問われる科目に時間かけるより、好きな教科、得意な教科を選ばせた方が将来役に立ちますね。
匿名様
コメントありがとうございます。
音楽って、確かに、具体的なことについて何か役に立つわけではないんですよね。
私だって、好きなことだったので楽しく授業を受けてきましたが、将来役に立つのか?と言われれば「??」という状態でした。
今回いろいろと調べてみて、考えてみて、あ~やっぱり必要なのかもね、と思うようになったという感じです。
”センス”というそのあいまいさが大事なんじゃないかと・・。
学校教育のことなんて、偉そうに語れるような深い知識や問題意識があるわけではないですが、そもそも”センス”というあいまいなものに成績をつけることが問題なのかもしれませんね。
好きな教科、得意な教科をもっともっと伸ばせる教育。それはとっても大事なことのように思います。