家でさほど練習するわけじゃない。なかなか上手にならない。でも、「ピアノはやめたくない」と言う。
こういう子いますよね。
このようなとき、本人は「上手に弾けるようになる」ことだけを求めていないのかもしれない。
そんな風に思います。
じゃあ、何のためにレッスンに来るのか・・。
そのあたりを考えてみました。
レッスンを受ける子どもの本音と親の気持ちはズレている?
我が子を、ピアノのレッスンに通わせようと考えるきっかけは、それぞれだと思います。
多いのは、音楽が好きそうだから、ピアノに興味がありそうだから、といったことでしょうか。
きっかけはそういうこと。
でも、心の奥にはだんだんと、「〇〇が弾けるようになってほしい」「人前でかっこよく」といったことがあるのではないでしょうか。
それは当然だと思います。
私の側も、弾けるようになることを目指してレッスンをするわけですし。
でも、当の子どもの気持ちはそうではないとしたら・・?
あんまり練習するわけではない、でもピアノをやめるのは嫌だと言う。
こういう場合、レッスンを受ける本人は、上手になることだけを求めてない、ということがあるのではないかと思います。
弾けるようになりたい でも・・・
「上手になりたくないの?」なんて聞かれれば、「上手になりたい」と答えるでしょうし、実際そうなんだと思います。
でも・・・
という部分があるのでしょうが、それをうまく説明できないのではないかな。
なかなか難しい感情だと思いますし。
現場で子どもたちを見ていると、大きく二つのパターンに分かれます。
練習もしてくるしレッスンの時もよく弾いて、あーこの子は弾けるようになりたいんだなぁ、と感じられる子。
その一方、ちょっと違うかな、と思われる子もいます。
「音楽は好き!ここへ来ると何かしら音楽に触れられる。それが楽しい。」という様子の子。
また、「好きな曲を、無理のない自分のペースで、ホントにのんびりのんびりと。結果、なかなか上達には結びついていかない。」という子も。
こういう場合、親の気持ちとしてはレッスン料をもったいなく感じてしまうかもしれません。
それも当然のことと思います。

うんうん分かる!と~っても分かる!!私も親だし。
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ピアノを習う意味って?「上達だけを目的にしない」という見方
ピアノ教室はピアノを弾けるようにするところ、です。
もちろん、私の教室もそれが基本です。
でも、実際にレッスンを受ける子どもたち自身は、それだけじゃないものを求めている場合があります。
決して少なくない。
というのが実感です。

何しに来てるんだろう・・と思うこともある・・正直・・
ピアノのレッスンは、1週間に一度、音楽に触れることのできる時間。
良い気分転換になったり、ストレス発散になったりする時間。
学校とも家庭(親?)とも離れて、ちょっと違った立場で自分だけを見てもらえる時間。
レッスンの時間をこんな風に感じている子にとっては、「ピアノが弾けるように」ということだけを目的にしてしまうと、当てはまらなくなってしまいます。
こうしたことを受け止めていくことも役割ではないかな、と思います。
基本的に音楽は好きなので、何かしら音楽に絡めて時間を過ごすことができます。
ピアノを弾けるようにするレッスンを、その子のペースに合わせてゆっくりとしつつ、それだけにはとどまらないことをする。
ピアノを弾けるようになることだけを目的としない、本当に求めていることに応えていく。
そんな柔軟なレッスン内容もとても大切だと感じています。
練習はしないし全然上手にならないし。だからこの子はピアノに向かない。通う意味はない。
少なくとも、私の立場からはこうした見方をしないようにしたい。
レッスンをやめないのは、何かここに求めるものがあるんだろう、ということです。
(公開日:2016年8月9日 最終更新日:2024年6月20日)
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